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絵手紙 [捨てるもの]

あやめ.png

Bちゃんからハガキが届きました。
人のお絵かきも楽しそうで、うれしいです。


追伸①:大学の友人と、夕飯作り
大学時代の友達でつきあっているのは、3人です。
そのうち2人は東京出身で大学付属の高校から進学しました。
この2人とは卒業後も、つきあいが途絶えた事はありません。

大学に入った時、もう友達は増やしたくないな、と思っていました。
というのは、中・高の友達が多かったので、
その友達との関係を中心にしたいと思ってっいたからです。

また、大学2年の時に父の仕事が失敗して
実家が借金の抵当になってしまったので、おこづかいが足りなかったし、
私の行った大学は授業料が高いことで有名だったし
その中でもさらに授業料の高い理科系だったので、
なんか、親にお金を返さなくちゃ、という思いが強く
アルバイトをしていたし、
大学はいいとこのぼんぼん、じょうちゃんが多かったので
少し反感もあったりして、「誰ともつきあいは続かない」と決めつけていたところがありました。
(ちなみに弟の大学は私のかかった費用に比べたら1/3でした)

社会人になって、大学の友達の育ちの良さ、人の良さを再認識したと思います。
さらに、子育て時期には、特に1人は同じ年に子供を産んだので、
大いに助けてもらいました。

諏訪友は結婚しなかったし、地元で職に就いたし
地元にお友達がたくさんいるし、3姉妹ですごく仲が良かったので
わざわざ東京の友達と一緒に行動する必要が無かったのだと思います。
だから、疎遠になっていました。
でも、大学時代には一番仲が良く、
それは東京出身の2人もそう思っていたようです…。

大学時代、同じ学科約50人中、女性は15人くらいで、
諏訪友とはいつも同じグループでした。
学校に泊まり込んだり、箱根の山に泊まり込んだりして
一緒に生活したので、一緒に食事の用意をしたり片付けすることが、なんか懐かしいです。

諏訪友のお父上は教育者で、いつも人の出入りが多いお家だったようで
人がたくさん泊まりに来る事に、なんの違和感もないようです。
学生時代にも友達数人で泊まりがけで何度もお邪魔しました。

とにかく、去年の正月に再会してから、
なんの抵抗もなく元の感じで、楽しくおつきあいができて良かったです。

私はまあ、小学生の頃から、正月飾りを作ったり
おばあちゃんの本屋の店番をしたり、いろいろな手伝いはよくした方だったけれど、
実家の夕飯を担当し始めたのは社会人になってからです。

その頃、母は住吉町の母の友達がやっていた立ち食いそば屋で働いていたのですが
その町内の居酒屋さんから声がかかり、そばやの仕事が終わってから
その居酒屋さんで皿洗いの仕事をしていました。
仕事が終わってから、そこで働く板前さんや若いお姉さんと一緒に
遊びに行ってしまって、主にディスコとか…。
今思うと、母は40代後半だったと思いますが…。
家に帰ってから、だれとどこに行ったとか、話すのだけど
ものすごく楽しそうでした。
その代わり朝帰りが増えて、食事の用意、特に夕飯を作ってくれなかったので
私が食事をやることにして、
家に高校の友達を呼んで、『料理研究会』とか言って、
自分たちで気に入った料理を作っていました。

母の働く居酒屋さんには、会社の同じ居室の人を誘って食べに行ったことがあります。
冬でした。
あんこう鍋だったかな?
鍋を食べて、お料理を豪華にしてくれて…、
お刺身をきれいに造ってもらって…、今でも話題に上ります。

今思えば、諏訪友は大学時代から、お料理、裁縫、なんでもできる人でした。
今もそうです。
もう、押し入れなんか、きちっと布団がしまってあるし
お家もきれいにしています。
いろいろなことをちゃんときちんとこなす人です。
近所の人からもすごく愛されている感じがします。
だから、その恩恵を受けて、御柱祭の時は、私たちもものすごく歓迎してもらえました。

なんか、本当に人付き合いに恵まれているな、と日々感じています。


追伸②:片付け
私は片付けができない方です。
でも、子供の頃に比べると、かなりマシになっています。
でも、本当にきっちり片付けないと気が済まないという人がいて、
そういう人には、もう、ぜんぜんかないません。

この間、新宿友の家に寄ったら
「今日は散らかっている」
と言うことだったのですが、
私の「散らかっている」という概念とは全然違っていました。
私の感覚から言うと、まったく散らかってはいませんでした。

その時の彼女の『散らかっている』という意味は
私が説明すれば
「捨てる本を整理して、テーブルの上にまとめてある」
ということになります。

彼女にとっては、つまり、いつも出ていない物が出ているということが
すなわち『散らかっている』ということになるのかもしれません。
新宿友は机の上に何か置いておくってことがありません。
ティッシュは壁にひっついています。

彼女が中学時代から仲の良い友達がいて、
高校で一緒だったのですが、
その友達のことは
「散らかったままでいても平気」だったことが
うらやましかったそうです。

そういえば、
会社の若い女子が私のアパートに来た時に、
シンク下の開き戸の中を見たいというのです。
私の感覚からしたら、まあまあ、だいたい片付いている状態でしたが
その人からしたら、「ごちゃごちゃ」に近かったようです。
それを見て
「うれしい」と言っていました。
彼女は自分のことを「片付けられない女」と言っていましたが
ちっともそういうことはない感じでした。
ただ、片付けられない状態がストレスになるようでした。
だから、自分より片付けられない状態の人を見ると、安心するようでした。
私はちっともストレスになりません。
だって、昔よりは片付ける事ができているからです。
シンクの下も、私には今以上は片付けられないです。

Fおばさんは、母よりは片付けられない方でしたが
それを気にしている風ではありませんでした。
昔は部屋の中に物が積んであったけど、
きれいに積んであるから、良かったのか?
わりとごちゃっとしているけど、まあ、私と同じ程度でした。
母は自分で片付けができるという自覚があったけど
机の上には必ず何か置いてありました。
置いてあるものが、びしっと整理されていたから
それで良かったのでしょう。

「人と比べるな」と良く言いますが
簡単に比べるということ自体ができません。
何をどう比べるか、
比べてどう思うかってことが語られなければ
単に「比べるな」と言われても困惑するばかりでした。
だって…
物事って比べる事によって分かる事が多い気がします。
っていうか、思考の基本ですよね??

「人と比べるな」と言って私をたしなめる友達とは
話がかみあわなくて、私が頭おかしくなりました。
今思うと、言っていること全般にわかっていないことが多かったように思います。
私からすると矛盾する事だらけでした。
ただ、彼女は私の次ぎに筆まめだったため、
手紙のやりとり自体がおもしろかったから、30年も友達付き合いが続いたんだろうな
としみじみ思い出します。
自分が好きな物の中でも特に手紙を書く事がすきだったのだな
としみじみします。
物事をやることの優先順位が変だったっていうか
「手紙至上主義」というほどだった感じです。
だけど、それじゃあ生活が成り立たないから
子育ての間は、自分の好きな事はだいたい後回しにしてきました。
そうする方がストレスが少なかったからです。

今はわりに簡単に考えが整理できるような気がしています。
それは、「考えの片付け」のようなものかもしれません。
手紙じゃなくても、なんだかまとまったような気がして書いていれば、
それで気が済むようになりました。
ブログに書いていると、本当に読んでくれているかどうかは別として
来訪者の数が表示されます。
ゼロで無ければそれだけで満足できます。

ほんとに良かったです。

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コメント 2

CHIZUKO

笑わずにはいられませんでした(^◇^)
いつも、「う~ん、なるほど!」とか、アイヅチを打ちながら読んでます!!
by CHIZUKO (2016-05-23 10:12) 

らいみ

CHIZUKO さん
ほんと、笑える。
人の違いっておもしろいよね。
いつも書き込みしてくれてありがと~~~~。
by らいみ (2016-05-28 15:30) 

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